知らないことをやってみるブログ

世の中には、知らないことが多すぎる。アラフォー妻子持ちがなんでもやってみようというブログ。

子供と宿題

一番上の子が、理科のテストで間違ったらしい。
でまぁ自宅で復習ということのようなのだが、ちょっと色々と考えさせられる内容だった。

チョウとバッタの違い

「チョウの一生」と書かれたイラスト群と「バッタの一生」と書かれたイラスト群がある。
チョウはタマゴ→幼虫(イモムシ)→サナギ→成虫(チョウ)で、バッタはタマゴ→幼虫→成虫なのだが、ウチの子が間違えたのは

チョウとバッタのそだちかたにはどのようなちがいがありますか?

という問題。
ウチの子の回答は

バッタはサナギにならない

だった。
バツだった。
多分幼虫と成虫で形が変わる、みたいなことを答えさせる問題だったんだろうと推測する。
ただ「育ち方の違い」みたいなふわっとした聞き方しといてバツってのは随分じゃないかと思うわけだ。
間違ってないじゃないか。
それともバッタはサナギになるのか。

かけ算と文章問題

正直なところ、私が子供だった頃と違って面倒臭くなったんだなーと感じる。
かけ算も「かける数」と「かけられる数」のジャッジが思った以上に厳しいようだ。

5人の子供に、それぞれ3cmずつリボンを配ります。リボンは全部で何cm必要?

みたいな問題があって、

5×3=15cm

とやるとバツを食らうのだという。
3×5でないといけないらしい。
全部で何cm?と聞かれている以上、かけられる数は3cmのほうなのだと。
個人的にはこれもスッキリしない。
「3cmずつ5人に」だったら15cmで、「5人に3cmずつ」だったら15人になるのか?

大人の責任として

別にそれが答えだってんだから仕方ないし、それはそれで良いのである。
ただ、誤解の生じない問題文であるかどうか、正誤の判定について単純明快で子供が(親が採点するなら親にも)すっと理解・納得できる内容か。
「なんか釈然としないけど言ってることは分かる」みたいなのではなく。

そこをキチンとクリアするのは大人としての責任じゃないのかと思ってしまうわけだ。
そうじゃないと勉強ってものは「点を取るための方法」にしかならんのではないか。
世の中の親御さんは子供の勉強にどのように向き合ってるんだろうか。